中之島
鹿児島県鹿児島郡十島村という、人口約300人の村があります。
村の実態は、屋久島から奄美大島までの間に点在する10の島々で、7つの有人島と3つの無人島から形成される”日本一長い村”で、その村に辿り着くには、鹿児島港から週2便のフェリーに乗って北端の口之島まで約6時間、南端の宝島まで約12時間かかります。
村の実態は、屋久島から奄美大島までの間に点在する10の島々で、7つの有人島と3つの無人島から形成される”日本一長い村”で、その村に辿り着くには、鹿児島港から週2便のフェリーに乗って北端の口之島まで約6時間、南端の宝島まで約12時間かかります。
フェリーとしまに乗る乗客は、みな顔見知りの様子。島に暮らす人たちにとっての大事な足。
鹿児島港からフェリーに乗って、まだ夜も明けない5時過ぎ頃、「間もなく本船は口之島に到着します」というアナウンスが船内に響き渡ると、眠気を押して好奇心からデッキに繰り出した眼前は闇。海も空もわからない闇の中、風だけがフェリーの進行を伝えてくれます。その闇の中に、突如岩肌のようなものがぼんやりと船の明かりに照らされて、「島がある!」と認識させられます。
徐々に港の明かりが見えてきて、船が接岸すると、多くの人や物が船から出たり入ったりする様子が見られました。このフェリーは島の人たちにとって身近で大事なインフラなのだと思わされました。
鹿児島港からフェリーに乗って、まだ夜も明けない5時過ぎ頃、「間もなく本船は口之島に到着します」というアナウンスが船内に響き渡ると、眠気を押して好奇心からデッキに繰り出した眼前は闇。海も空もわからない闇の中、風だけがフェリーの進行を伝えてくれます。その闇の中に、突如岩肌のようなものがぼんやりと船の明かりに照らされて、「島がある!」と認識させられます。
徐々に港の明かりが見えてきて、船が接岸すると、多くの人や物が船から出たり入ったりする様子が見られました。このフェリーは島の人たちにとって身近で大事なインフラなのだと思わされました。
週に2度届くフェリーの積荷を、みんな待っています。
到着から30分もしないうちに、フェリーは次の目的地である中之島へ向かい出港しました。
私は中之島で下船し、そこで昨年9月にコスタリカから移住してきたという、ホンダさんという方から声をかけていただきました。
吐噶喇列島は、琉球文化のベースに大和文化が乗っかった、2つの文化圏の境目だと本で読んだことがあります。
中でも中之島には、島内の西側に平家の 末裔では?と言われる方々が暮らす西区と、奄美からの入植者の末裔と言われる方々が暮らす東区があり、民俗だけでなく人の動きにもそれが現れていますが、これら2つの集落に加えて、高原の方にIターン者が多く暮らすという日の出区があります。
そんな中之島で、『歴史民俗資料館』や『天文台』、天然記念物の『トカラ馬』などの観光資源を管理されているのが、昨年コスタリカから移住してきた本田さんでした。
本田さんはホンジュラス人の旦那さんや二人のお子さんと生活出来るベストな環境を求めて中之島に移住してきたという、なんとも振り幅が広い方で、全国放送のTVの取材も受けたのだとか。
商店が1軒、自販機が3つと、旅館以外には目立ってお金を落とすところがない中之島で、本田さんは島の観光の今後を担うお仕事をされています。
到着から30分もしないうちに、フェリーは次の目的地である中之島へ向かい出港しました。
私は中之島で下船し、そこで昨年9月にコスタリカから移住してきたという、ホンダさんという方から声をかけていただきました。
吐噶喇列島は、琉球文化のベースに大和文化が乗っかった、2つの文化圏の境目だと本で読んだことがあります。
中でも中之島には、島内の西側に平家の 末裔では?と言われる方々が暮らす西区と、奄美からの入植者の末裔と言われる方々が暮らす東区があり、民俗だけでなく人の動きにもそれが現れていますが、これら2つの集落に加えて、高原の方にIターン者が多く暮らすという日の出区があります。
そんな中之島で、『歴史民俗資料館』や『天文台』、天然記念物の『トカラ馬』などの観光資源を管理されているのが、昨年コスタリカから移住してきた本田さんでした。
本田さんはホンジュラス人の旦那さんや二人のお子さんと生活出来るベストな環境を求めて中之島に移住してきたという、なんとも振り幅が広い方で、全国放送のTVの取材も受けたのだとか。
商店が1軒、自販機が3つと、旅館以外には目立ってお金を落とすところがない中之島で、本田さんは島の観光の今後を担うお仕事をされています。
本田さんがお世話をしているトカラ馬。野生馬をどう人慣れさせ ていくかが課題だそうです。
ですが、観光地としてどうかという以前に、島はその土地に暮らす人たちの生活の場です。そして中之島での生活のその当たり前は、昨今盛んに話題に登る『地方移住』に当たって大事な示唆を含んでいるように感じました。
都市に暮らす人たちは普段、多くの知らない人たちとすれ違いながら生活しています。ですが、限られた土地の中で150余名が暮らす中之島では、すれ違う人はみな知り合いです。すれ違う子供たちはみな元気に挨拶し、年配の方は世間話をはじめます。
ですが、観光地としてどうかという以前に、島はその土地に暮らす人たちの生活の場です。そして中之島での生活のその当たり前は、昨今盛んに話題に登る『地方移住』に当たって大事な示唆を含んでいるように感じました。
都市に暮らす人たちは普段、多くの知らない人たちとすれ違いながら生活しています。ですが、限られた土地の中で150余名が暮らす中之島では、すれ違う人はみな知り合いです。すれ違う子供たちはみな元気に挨拶し、年配の方は世間話をはじめます。
児童生徒17名が学ぶ中之島の小中学校。みんな元気に「こんにちは」と言ってくれました。(提供:中之島小中学校)
生まれも育ちも中之島だという80歳のお婆さんは、「移住の人たちはなんで遊びに来てくれないのかねぇ?」と言い、島の人みんなが話し 相手だ、話し相手がいないと寂しい、と続けます。
私はお婆さんのこの感覚に「なるほど」と思うか、「ふーん」と思うかどうかが肝心なところではないかと思います。
所謂IT系や文筆業などで中央から自分の仕事を持って地方に移住する形もありますが、その土地に求められる役割を担い、協力関係の中で打ち解け合い、その土地の一部として暮らしていくことに、地方移住の肝心な部分があるのではないか。
などと考えた中之島でした。
生まれも育ちも中之島だという80歳のお婆さんは、「移住の人たちはなんで遊びに来てくれないのかねぇ?」と言い、島の人みんなが話し 相手だ、話し相手がいないと寂しい、と続けます。
私はお婆さんのこの感覚に「なるほど」と思うか、「ふーん」と思うかどうかが肝心なところではないかと思います。
所謂IT系や文筆業などで中央から自分の仕事を持って地方に移住する形もありますが、その土地に求められる役割を担い、協力関係の中で打ち解け合い、その土地の一部として暮らしていくことに、地方移住の肝心な部分があるのではないか。
などと考えた中之島でした。
中之島で生まれ育ち、戦争も結婚も中之島で経験したというお婆さんから貰ったキャラメル。
0コメント