古仁屋→名瀬

古仁屋で与路島の人とばったり再会

請島の請阿室を出た船は、9:00前に古仁屋に到着した。船の中には行きの船と請島の海水浴場で見た兵庫県から来た父子もいた。

船を降りた人混みの中に、与路島で朝からビールを飲んだおじさんがいた。あの時は酔っていたけど、今度は素面で、頭脳明晰という評判通り、淀みない口取りで超丁寧なご挨拶を受けた。お盆のお供え物や、飼っている猫の餌を買いに来た、と言う。
古仁屋から与路島・請島へ行く船は、1日1便、14:30発のものしかなく、帰りの便がない。「なぜ帰りがないのか?しかも行きもこんな中途半端な時間なのか?」と思っていたけど、その理由がやっとわかった。船のダイヤは、与路島・請島に住む人たちの生活に合わせたものだったのだ。


これから名瀬に行って夜の船に乗る事や、その前に田中一村記念館で絵画を見ていこうと思う事などを話すと、行き方や、バスの1日乗り放題券を買った方がお得だという事を教えてもらった。
9:00になってバスの案内所が開くとすぐに乗り放題券を購入して、次の名瀬方面へ向かうバスは9:30だと教わる。
それをそのままおじさんに伝えると、「じゃあそれまで一緒にいよう。ジュース奢ってあげる。」と言われ、おじさんに100円の紙コップのジュースを奢ってもらい、自分もおじさんにジュースを奢った。
会話をしていて(失礼だけど)変な人ではないと思ったので、住所を聞かれたのに応えた。おじさんからも住所を教えてもらったが、民宿の人の評判通り、達筆で驚いた。他の評判だと、英語もペラペラだと聞いたけど、英語は聞けなかった。

バスには出発時間ギリギリに乗り込んだ。おじさんはバス停まで見送りに来てくれて、バスが出発してからも見えなくなるまで手を振ってくれた。
(2ヶ月後に電話がかかってきて、「島の人らしくないな、と思いました。」と言ったら、「2度会ったからだ。」と言われた。)

バスの中の様子

バスの運転手=おじさん(たまにおばさん)というステレオタイプがあるが、この時の運転手さんは若いお兄さんだったのが意外だった。
途中のバス停で地元民らしきおばあちゃんと孫らしき女児が乗り込んで来て、バス車内で1日乗り放題券を購入しているのを目にした。バスの中でも乗り放題券が購入出来る事を知る。
バスはすぐにトンネルに入った。
夜の船まで時間はたっぷりあるし、乗り放題券での移動なので、「気になる景色があったら途中下車しよう。」と決め込んでいた。

”マングローブ”の意味をはじめて知る

しばらくすると『マングローブパーク』というバス停があったので、ここで降りる事にした。
去年、初めて奄美大島に行く前に、旅行誌のライターをしている人から「奄美の道の駅でマングローブ原生林をカヌーで見れるところがある。」と聞いていたそれが、ここだった。
カヌーに乗る服装の用意もなかったし、第一に1人でアトラクション的なものに参加しても楽しくはないと思ったけど、マングローブ原生林は見たかった。
原生林に面するカフェの店員さんらしき人に「マングローブを見れる場所はないか?」と尋ねると、遊歩道を教えてくれたので、そこを歩く事にした。この方は店員さんではなく観光ガイドさんだったけぢ、ついでに図々しくも荷物を預かってもらった。
カフェがある道沿いのすぐ脇に、下へ向かう階段があって、そこを下っていくと原生林だった。一本道の遊歩道を道なりに行く途中で、小さな蛇が道を横切るところに2度出くわした。
そんなに長くはなく、かと言って物足りない訳でもない距離の遊歩道の行き止まりまで行って、来た道を通ってカフェに戻った。ちょうど地元の親戚連れか?親子連れ2組の団体さんがワゴン車で到着したところで、子供たちが青いトカゲを素手で捕まえて興奮して、賑やかな雰囲気になっていた。
前出のガイドさんから「カフェの屋上からもマングローブが見えるから」と言われて屋上に登って、静かに原生林を眺めていたら、ここの存在に気づいた子供たちが上がってきて、一気に賑やかになった。自分も小さい頃に従兄弟たちと一緒にピクニックなど連れて行ってもらったけど、こんな感じだったんだろうと思った。
因みに、ガイドさん曰く、マングローブは木の名前ではなく、干潟に木々が茂った状態を、マングローブと言うそうで、正しくは『干潟の森』という語用だそう。
カフェの店内に戻って、アイスコーヒーを頂いて、荷物を受け取り、バス停に向かった。
↓カフェ内にあったインパクト大なメニュー。

バスの中で愉快なおばちゃんに声をかけられる

バス内は、終点の名瀬に近くに連れて徐々に人が増えていった。

中には、明らかに観光客と見られる若い女性2人組がいた。大きな荷物を持って、色白ときたら、現地の人ではない事が容易に察しがつく。
そんな事を考えながら、日焼け止めクリームを塗る手を首筋の後ろ側に回した途端、背後の席のおばさんからつんつんと肩を突かれてて、振り返ると「観光客?」と声をかけられた。
「はい。」と応えると、「どこから来たの?」にはじまり、「いいところでしょ〜。」というお国自慢から、「野菜が育つのを見るのが楽しみ」「息子と一緒に名瀬に行くんだけど、『母さんと一緒は恥ずかしい』と言われて別々に座っている。」など日常生活から家族の事まで、話し出したら止まらない系の人だった。
「旅行はいいよね〜。色んなところ行くの楽しいよね〜。」と、嬉々と話していたので、「おすすめは?」と聞くと、「私は旅行は行かないの。ずーっと奄美。」と言われて拍子抜けしたけど、おばさんの話ぶりに、毎日楽しそうでいいなぁ、と思った。
「パパイヤの炒め物が好きだが、福岡にはパパイヤがない。奄美ではパパイヤが軒先に生え放題だから羨ましい。」と言うと、「苗を買っていったらいい。それか、スーパーで熟れたパパイヤを買って、種を蒔いたらすぐ育つよ。あいつらしぶといから。」と言われたので、やってみようと思った。
名瀬の手前でおばさんは息子さんと共に降りていった。因みに、自分がずっと息子さんだと思っていた人は別人で、本当の息子さんが凄く若くてびっくりした。高3になる5番目の子だ、という事だった。

奄美の大都会・名瀬の様子

田中一村記念館は奄美大島の北部にあり、南部の古仁屋から行くには名瀬でバスを乗り換えなければいけない。乗り換えるついでに、荷物を預けられるところを探した。
バスの営業所の人に教えてもらった荷物を預けられる施設に向かう道すがら、舞踊教室で身支度を整えるところが覗き見れた。
島バナナが山盛りの青果店も。父がバナナ大好きなので、帰り道に寄る実家へのお土産に一房購入した。案外いい値段した。
豚の塩漬けも、折角なので購入してみた。これは自分用。
施設周辺ではお祭りが行われており、バスの時間もあるので、2月に研修ツアーのようなもの?で訪れた際にお会いした名瀬の人たちや、福岡でお会いしたTさん繋がりのお役所の人たちなんかがいるかなー?と思い、急ぎ足で見て回ったが、見当たらなかった。

沖縄風たこやき屋さん的なお店

バス停の手前に、沖縄風?のちょっと異質なお店があったので、パッションフルーツソフトクリーム目当てに入店してみた。
期待していたソフトクリームが品切れだったので、とうきびジュースを頂く事にした。
↓サトウキビを絞っているところ。
店内はソフトクリームやジュースなどのおやつ類の他に、揚物が充実していた。こちらの感覚だと、揚物=たこ焼きになっているものだろう。イチオシの『フィリピン風もも揚』には、「やっぱり沖縄の人がやってるのかな?」と思ってしまったけど、これは店主のおじさんがTVでたまたまレシピを見たものだそう。

島豆腐食べ放題のお店

バスに乗り込んで、北の方へ向かった。お昼御飯食べるにはばっちりなタイミングで名瀬に着いたのだったけど、去年古仁屋のゲストハウスに泊まった際に一緒だった一人旅の女性が「空港に行く途中にある豆腐屋さんの定食がすごく良かった。」と聞いた事を思い出して、そこに行こうと思っていた。

朝からジュース類しか摂取していなかったので、お腹の準備は万端だった。


山の間の田舎道のバス停で降りて、お昼過ぎの日差しの中を10分くらい歩いたところに、豆腐屋さんがあった。店内に入ると、とても1人で来るような雰囲気ではなかったけど(しかも座敷席に案内される)、入ってしまったのでそのままここで昼食をとる事にした。
定食には、3種の豆腐とみきのビュッフェがついており、この内容↓で800円代というかなりお得感満載の内容だった。空きっ腹もすぐに満腹になった。
再びバス停に戻って、空港方面へ向かうバスを待った。バス停の裏手には集落があり、興味深く眺めたりした。
集落を眺めるのにも飽きて、大人しくバスを待っていたら、バス停のすぐ裏の中古車屋さんの人が「暑いでしょ。」と言ってパラソルを立ててくれた。

田中一村の絵を見る

ようやく目的地の田中一村記念館に到着した。館内は美術館らしい静かで涼やかな空間だった。空調が効いているのだろうけど。

田中一村といえば色彩と緻密さに焦点が当てられがちで、自分も色彩や緻密さがすごいなぁと思っていたけど、実物を見てみると、緻密で鮮やかな色彩を絵をまとめ上げる構図もすごいんだなぁ、という発見をした。
展示は年に4回入れ替わるらしい。
売店で絵葉書を見て、住所を交換した与路島のおじさんや、お世話になった民宿やOさんに送る事を思いついて数点購入した。それと、図録も購入。

記念館周辺には、公園や展望台や奄美の文化・風俗を伝える施設があり、それらも見て回った。夕方だったためか、客は自分以外に見られなかった。
↓よく見ると奄美。
↓ハブがいない地域にはまずない啓発ポスター。
ここは鹿児島県の施設らしく、薩摩の侵略の歴史はマイルドにぼかされていた反面、琉球による支配の歴史は過激に紹介されていた。"勝者の歴史"をまざまざと見せられた。。
閉館時間まで展示を見て、名瀬に戻る事にした。

奄美の買物のメッカ・ビックⅡ(ビックツー)

しかしまだ時間があるので、お土産の購入+マーケティングというか個人的な興味でビックツーに立ち寄った。
ビックツーは奄美の大型量販店で、日用品からお土産品まで何でも揃うお店。山の合い間の田舎道にありながら、『ビックツー前』というバス停まである、買物のメッカ的なところ。という印象を持っている。
古仁屋で再会したNさんの黒糖やきび酢が購入出来るという点も、立ち寄った大きな理由だった。
↓早速Nさんのきび酢を発見。きび酢はNさんのところを含めて3社しか製造していないようだった。
↓家庭菜園も気候が異なればこうなる。
ビックツーでお土産品を色々物色して、再び名瀬に戻るバスに乗り込む頃には、日が暮れようとしていた。この日だけで一気にお金を使った。

夜の名瀬

名瀬に着くと、まだ夏祭りが行われていたが、昼ほどの活気はなく、終盤モードという様子だった。
預かっていた荷物を受け取って、名瀬の繁華街を通って港に向かった。
繁華街の外れまで来たところで、前回研修で来た際に気になったラーメン屋さんに入った。
店内には有名人のサインや写真がたくさん掲げられており、徳田虎雄氏の写真とサインも見られた。

店を出るとすぐに繁華街を外れて、暗い夜道をしばらく歩いた。
港に着いて船に乗り込むと、時期もあり、ほぼ満員状態だった。
荷物を置くと早速甲板に出た。港には見送りの人がぱらぱらといて、やんちゃな年頃の男の子達が船に乗った女の子にずっと何やかんやを叫んでいた。

紙テープを使っている人たちも2組見られた。これは春先に見られるものだと思っていたけど、お盆にも見られるものなのか、と思った。

その様子を興味深げに写真を撮る西洋人母子?夫婦がおり、2人は船が出航して徐々に小さくなる名瀬の街明りや、別の港に停泊するフェリーとしま(!去年乗ったやつだ。)などをバシャバシャ写真に撮っていた。この船に乗る大勢の奄美〜鹿児島間を行き来する人たちよりも、きっと自分の心境はこの外国人に近い。


ーーー翌朝ーーー

船が錦江湾に入りしばらく経ったタイミングで、定刻通りの到着になる見込みのアナウンスが流れたので、予約していた高速バスの購入手続きを済ませた。ここまで来れば電波も入る。

鹿児島港でぞろぞろと降りる人たちの中に自分もいた訳だけど、
奄美から大量の人たちが毎朝鹿児島の港にやって来ている様子は、鹿児島に暮らす人たちの日常とはかけ離れているように思えて、何だか非日常的な光景を見た気分になった。

あくまで自分の身の回りからの情報だけど、鹿児島の人の多くは奄美に行った事がないようなので。

心配していたお盆時の渋滞にも長くは捕まることなく、20分遅れで久留米インターに到着して、母の車で実家に帰った。


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