請島

請島でOさんにすぐ見つかる

与路島を出て、請島の池地港を経由した船は、すぐに同じ請島の請阿室港に接岸した。

船を下りる人はほとんどいない。船を下りた自分を、Oさんはすぐに見つけて軽トラに招き入れた。
Oさんは、普段福岡でお世話になっている加計呂麻島出身のTさんの高校時代の同級生で、Tさんに「請島に行こうと思う」と言ったら紹介して下さった。
更に、請島での民宿の予約が取れず、「請島行きは無理そうだ」という話をしたら、Oさん宅に泊まる事を提案され、その流れで1晩お世話になる事になったのだった。
因みに、与路島の民宿の人から知らされるまで、Oさんが独身だとは知らなかった。。どう思われた事やら?

請島のまちなみ、人口など

軽トラの助手席から見える請阿室の風景は、住宅街であった。与路島で見られたサンゴの石垣はこちらではごく少なく、碁盤の目状に整備された区間に、コンクリートのブロック塀が整然と並ぶ。Oさん曰く、明治の頃に整備された?とか。
請島も与路島と同じく、昔は1000人規模の人口を擁していたそうだが、今は池地、請阿室に約40人が暮らすのみだそうで、現在60歳のOさんよりも若い人は、請阿室に4人しかいないそうだ。
Oさんが1人で暮らす自宅はとても大きく、敷地も広々としていた。3棟の平屋が合体したような造りの、1棟分しか普段使っていない様子だった。

Oさんの仕事(島の暮らしは忙しい)

着くと普段使っていない座敷部屋に案内されて、ひとまずそちらに荷物を置いて、台所でペットボトル入りのお茶を頂きながら、Oさんがどのような人なのかや、今日の予定などを聞いた。

Oさんは名瀬の高校を卒業後、宮崎の大学に進学し、就職で広島に出てから数年働いて、故郷の請島に戻ってきたという。
今は養豚業、にんにくの栽培を主とした畑作業、それらの加工業、JAが運営していた店が撤退した後を引き継いでの店舗運営業に加えて、区長として自治体運営なども行っているという、多忙な方だった。
与路島の民宿の人々もそうだったけど、職業がマルチで一言で表せない。仕事と生活が密接に絡んでいて、そもそも"仕事"という概念よりも、"生業"という言葉がぴったりのような気がする生活を送っていた。

今日はこれからゴミを回収して池地まで持って行くというので、付いていく事に。
請阿室内を軽トラで周り、荷台にゴミを乗せて、回収したペットボトルは港の回収箱へ。
再び集落に戻り、Oさんが管理する商店に行き、池地のお客さんに持って行く商品(箱入りのアイス。溶けないか?)を車に乗せて、一山越えて池地に向かう。モナ王をもらった。
池地のお客さんの家に商品を届けに行く間にも、Oさんの携帯には商品の注文の電話が入った。「アイスは何があるか?」という内容だった。アイスが人気のようだ。

離島向けの助成金か補助金で建てられたごみ焼却所を運営するのも、区長さんの仕事らしい。ごみ焼却所の隣には、これまた助成金か補助金で建てられた堆肥場があった。

与路島が見えるウケユリの山へ

それから、池地の集落の先にある山へ向かった。この山は請島固有のウケユリというユリが咲く場所だそうだ。シーズンでないのと、シーズンでも車道から山道に入らないといけないのとで、ユリはみれなかったけど、山の上からよい眺めを楽しめた。
蒼い海とハイビスカス。
Tさんからの電話を受けるOさん。
そういえば、与路島では「内地の人はSoftbankが多いねー」と言われた事を思い出した。島の人はみんなdocomoだから繋がるけど、自分の携帯はSoftbankだから繋がらない。
この場所に来てみてわかったんだけど、与路島で唯一電波が繋がった無人の浜は、位置関係から徳之島の電波が届いているのだろう、というOさんの見立て。徳之島は面積も人口も奄美諸島で2番目に大きな島だ。
与路島やハミヤ島も見えた。
再び池地の集落に戻り、島内唯一の郵便局へ向かった。
Oさん曰く、ここで色んな銀行のお金が下ろせるから便利だそうだ。

請島・池地散策

Oさんとは一旦ここでお別れして、Oさんはここで用を済ませて車で自宅で戻り、自分は散歩がてら歩いて戻る事にした。
池地の集落の様子↓
街路樹が大きくなり過ぎてトンネル状態になっている。これは内地の、他所の人が頻繁にアクセスするようなところだったら、ちょっとした名物になっているのではないか?と思った。

じ?

ヤギ小屋と思われる。

歩いている途中で、全身ほっかむりを被ったおばちゃん2人に「あんた〇〇さん家の〇〇ね?」と聞かれる。住民の誰かの親戚だと思われたようだった。

母の実家が、島ではないが筑後平野の田んぼの真ん中の20世帯程の小さな集落だったので、こういう経験は既にあった。小さな集落で知らない人を見た時の思考回路である。

集落の外れにある小中学校は、2階建ての立派な造りだった。
昔は池地と請阿室のそれぞれに学校があったそうだけど、今はここが島内唯一の学校。
それから浜沿いの道を請阿室の方へ向かって歩いた。防砂林のアダンが見頃だった。
この時、腹痛に困る。それと同時に、街中の繁華街の御恵みを本能で感じた。

海がきれいすぎる(ほぼ)プラベートビーチ。トイレ有。

山道に入ってすぐに、海水浴への入口を見つけた。与路島へ向かう船の中でお話した、池地のおじさんから聞いた海水浴だ。

池地のおじさんには、「海が大好きで全国を回った人が、『ここの海が一番きれいだ』と言い、海水浴出来るようにシャワー室やトイレを揃えた。」と聞いていた。
これはぜひ寄り道せねば(トイレもあるし)、と思い、ハイビスカスが咲く海水浴への階段を降りた。
半裸のおじさんが腰かけていたので、「こんにちは。」と言い階段を降りた。
浜に出る前にシャワー室とトイレを兼ね備えた休憩小屋があったので、迷わずそちらに寄って、再び階段を降りた。
浜では、父子連れが1組遊んでいた。話はしなかったが、与路島へ行く船の中で一緒だった人だ。人づてに聞いた話だが、兵庫県から来た親子だそうだ。
関西は沖縄や奄美からたくさんの人が働きに出た場所だから、里帰りなのかな?と思う。
とりあえず膝まで浸かる。
ここが請島と加計呂麻島に挟まれた穏やかな海だという事は、後でOさんに島の反対側の海に連れて行ってもらい、実感を得る。
再び請阿室へと続く山道を歩く。真夏の昼間に山道を歩くような人は、自分みたいな観光客しかいないだろうけど、そもそも観光客がいない。
目に映る景色の彩度が高いこと!
途中でヘリポートがあったので寄り道したけど、あまり印象に残らず。それよりも早く先に進みたかった。


更に進むと、神社があった。
『きゅら島神社』の由来を読むと、"島に神社がなかったから造った"という、あまりにも正直な話が書いてあった。
平成15年建立の神社の鳥井の脇には、実を蓄えたパパイヤの木が育っていた。
神社からは請阿室が一望できた。

請島・請阿室散策

今度は請阿室の住宅街を散歩した。

↓こういう広場なのか小屋なのか?が住宅街に散見され、気になって後でOさんに伺ったところ、豚小屋だという。今は集落の外れに大きな豚小屋を作って、豚はみなそこに集めて飼っているそうだ。確かに、家の側に豚小屋があったら臭いが気になるだろう。。
↓この"危"札がついた木もよく見かけた。害虫対策の消毒をした印らしい。
奄美に行って初めて知ってびっくりした事の中に、"動・植物の移動の規制"がある。海外旅行の際にしかこんな規制はないものと思っていた。
↓自販機。コーラとファンタが100円なところに善意を感じた。コーラを購入。
朝夕などの時間になると、近所の人たちがここに腰かけておしゃべりでもするのかな?と思われる。
Oさん宅に戻る前に、『商店』の看板を見つけたので、お昼御飯を求めて入店してみた。ここは宿泊できなかった民宿でもあった。民宿を経営しながら、商店も経営しているのだろう。そしておそらく他にも何かしているのだろう、農機具が見られた。
見た目は全く普通の民家だけど、『商店』と書いてあるので入ってみると、土間にぎっしり食糧品を中心とした雑貨が陳列されており、中からおばさんが出てきた。
ここでカップラーメンと古仁屋で作られたパンを購入して、Oさん宅に戻った。

大きな家で一人暮らし

Oさんはどこかに出ており、テーブルにはパウチにはいった吉野屋の牛丼が空の丼に乗っかっていた。「食べておくように」という事だろうと思い、カップラーメンとパンをそっと仕舞って牛丼を頂いた。
食べ終えた食器を洗うついでに、流しとテーブルと床の上ををちょっと掃除した。勝手に悪いかな・・・?とは思ったけど、炊飯器で米を炊く事すら出来ない性分である父を思い出し、やはり男性の1人暮らしが年数を重ねるとこうなるものなのか、と思ってしまったので。。
掃除をしながら、お礼に料理をさせてもらう事を思いつく。

船が着くと忙しい

しばらくしてOさんが戻って来て、夕方の再放送のドラマなどを見て、古仁屋からの船に荷物を取りに行くというのでついていった。
Oさんは商店を経営しているので、荷物もたくさん届く。請島ならいくらでも魚が釣れるだろうと思われるけど、お刺身も届く。その方が便利なのだそうだ。

届いた荷物を軽トラの荷台に乗せて、再び商店へと向かった。

午前中は鍵を開けて店内に入ったが、昼から開店しており、店員のおばさんがレジに立っていた。

ほぼジャングルクルーズ・レベル2

荷物の搬入が終わると、今度は請阿室の奥の山道を越えたところにある、浜へ連れて行って下さった。
道のりは、急斜面の登山道そのものだった。舗装は当然なされていないどころか、凸凹が激しく、与路島のジャングルクルーズ以上の衝撃だった。そこ車じゃ通らないでしょ(しかも軽トラで)、、
一山越えた先にある浜は無人で、地元の人の潮干狩りスポットらしい。先程の海水浴場と比べると、波が高かった。

ほぼジャングルクルーズ・レベル3

浜を後にして、次は牧場に連れて行って下さった。
来た道を戻って、再び山道に入ってしばらく行くとフェンスがあり、そこから先が牧場だそうだ。
牧場というと、熊本の草千里のような草原を思い浮かべるが、そうではなかった。山の一部を柵で囲い、その中で牛を飼っていた。
ここにいる牛は全て雌で、どの牛も妊娠しているそうだ。普段は牛舎で飼っており、種付けをして妊娠している期間にここで放牧するそうだ。その間、飼料を持って来たりもするが、基本的に放し飼いで適度に運動をさせたり、生えている草を食べさせたりするそう。
伺った時間帯は、ちょうど牧場主が飼料を道に撒いており、牛たちの御飯時のようだった。食事に夢中な牛が道を阻んでおり、Oさんが車を降りて牛のお尻をべちべち叩いて道を空けた。
少し前に仕事で五島列島の宇久島に行った時にも牧場に入ったが、その時は「あまり近づかないように、追いかけられるとすぐに捕まって危ない。」と言われて物凄く遠くから牛の視線に全神経を尖らせたのだったけど。。

Oさんが「この先の岬に行こう。」と言い、牧場内の道を逸れて、子供の背丈程に伸びた草が密集する中を突き進みはじめた。これは道ではない。与路島と請島のそれぞれで道路(?)事情にはびっくりし続けてきたが、これが1番の驚きだった。

道なき道を行く軽トラに激しく身体を揺らされて、岬に辿り着いた。ここも激しい波であった。そして再び道なき道を戻り、再びOさんが営む商店へと戻り、お店の酎ハイや食糧品(冷凍のお肉など)を自宅の冷蔵庫を物色するように購入して、Oさん宅へと帰宅した。

夜はみんなで晩餐会

帰宅するといい時間になっていたので、Oさんは片付けなどを終えるとすぐにシャワーに向かった。自分はその間に料理を作り、Oさんと交代する形でシャワーをお借りした。自分がシャワーを終えて台所に戻ると、近所の人たちが大集合していた。

Oさんと同世代の近所のご夫婦2組に、その昔大阪から移住してきたというおじさん1人、Oさん、自分の7人での晩酌が始まった。

印象に残った事&話

・猪肉の煮込み料理が!?今日罠にかかった猪だそう。自分は食べれないけど、「罠にかかった様子や、解体の模様を見てみたかった。」と言ったら、自分よりも他の人たちが残念がっていた。
・みんなペットボトル入りのお茶や水を飲む。地下水がなく水道水があまりきれいではないのだそう。
・また、ゴミの分別への関心が高い。ゴミの処理をしている人(Oさん)の顔が見える環境、規模感だからだろうと思う。ペットボトルは洗って表面のラベルを剥いで捨てる。ゴミの分別に関しては。ちょっとした事でも迷ったら「わかんないから燃えるゴミで。」とはならず、「よし、今度聞いてみよう。」という運びになる。
・「温泉街はストリップがあるからいいのになぁ〜」と、奥さんがいる場で発言するおじさん。だいぶタイムラグがあるように思う。恐らくだいぶ長い事行っていないのでは?お土産の明太子の缶詰を食べながら、「福岡といえば中洲に行きたいなぁ〜」とも言っていた。奥さんに「塩分摂りすぎ」と怒られながらも、ずっと食べていた。見事な"おじさん"像を見た気持ちになった。
・大阪出身のおじさんの高校時代の思い出話が全部漫画みたいな話だった。「チョーク投げが上手い先生がいた」「水が入ったバケツを持たされて廊下に立たされた」「柄の悪い先輩から本気で下駄の角っこで殴られて電流がビリビリ流れる感覚を味わい気絶した」「朝鮮人とはすぐに喧嘩になった」…など。実際にあっていたからこそ、漫画にも登場するのだろう、と思う。
・「今日はちょうど流星群が見れる」というネタが出てきたので、先程の見事なおじさんの奥さん、大阪のおじさん、Oさん、自分で、ピークだという21:00を回ったところで、お酒が飲めないOさんの運でヘリポートまで見に行くことになった。

何気ない毎日に楽しいことがいっぱいある

夜のヘリポートは気持ちがよかった。真夏の南の島とはいえ、こちらは湿気が少なく福岡よりも過ごしやすい気候のように思えた。夜は日差しがないから尚更だ。

ここは良いバーベキュースポットでもあるらしい。その他にも、たまにみんなで無人島にピクニックに行く話や、数人でお金を出し合って船を買った話などを教えてもらった。
与路島でもそうだったけど、外部からは"過疎""離島"などの言葉をネガティヴな意味を込めて表現されがちな土地柄ではあるが、自分の目には、みんなささやかな"お楽しみ"を存分に楽しんで過ごしているように映った。

誰かが「見えた!」と言うと、「見えた、見えた。」「えー?見逃した」という会話が発生し、それが何度か続いて、全員が納得するまで鑑賞出来たタイミングで、戻る事になった。
戻ってすぐに、早寝早起きの習性であるというご夫婦が1組帰った。その後もしばらく料理をつつきお酒を飲む時間が続いたが、24:00を回ったところでお開きとなった。

クーラーのつけ方は教わったけど、請島の気持ちいい気候と治安に浸りたく、風が流れる位置の窓を開けた状態で床についた。

ーーー2日目ーーー

朝、ペットのヤギを見に行く

Oさんは5:00前から畑に出ていたようだ。外を歩く足音を布団の中で聞きつつ、早く起きたところでする事はないので、6:00まではこのまま甘えていようと思った。

6:00を迎えて布団から出て、身支度をひと通り済ませたところで、Oさんが車で昨晩のおじさんが話していた"ペットのヤギ"を見に連れて行ってくれた。おじさん曰く「このヤギは俺が生きている間は絶対に食わない」との事。おじさんの死後は誰かに食べられても大丈夫だということだろうか?また、「ヤギって何年生きるんだろう?」と気にしていたところが何とも、愛着が湧くってこんな事なのか、と思った。

それからすぐにOさん宅に戻り、時間を持て余したので、近所を少し散歩する事にした。散歩中に思いがけず昨日一緒に流星群を見に行ったおばさんが家の前にいるところに出くわして、昨日のお礼とこれから経つ事を述べる。

その後再びOさん宅に戻り、Oさんの軽トラで港まで送り届けられて、ここでOさんとお別れした。港に人を届けると、さっと去ってしまうところに、島の人らしさを感じた。

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